近江屋からは町《ちょう》役人にも届け出て、お元は再びこの家の娘となった。この話もこれで納まれば、筆者もめでたく筆をおくことが出来るのであるが、事実はそれを許さないで、さらに暗い方面へ筆者を引摺って行くのであった。
お元が無事に戻って来たのを聞き、親類たちもみんな喜んで駈けつけた。町内の人々も祝いに来た。その喜ばしさと忙しさに取りまぎれて、当座はただ夢のような日を送るうちに、四月も過ぎて五月もやがて半ばとなった。このごろは家内もおちついて、毎日ふり続くさみだれの音も耳に付くようになった。その五月末の夕がたに、お元が仲働きのお国と共に近所の湯屋へ行った留守をうかがって、お此は夫にささやいた。
「おまえさんはお元について、なにか気が付いたことはありませんかえ。」
「気が付いたこと……。どんなことだ。」と、七兵衛は少しく眉をよせた。女房の口ぶりが何やら子細ありげにも聞えたからである。
「実はお国が妙なことを言い出したのですが……。」と、お此はまたささやいた。「お元には鼠が付いていると言うのです。」
「なんでそんなことを言うのだ。」
「お国の言うには、お元さんのそばには小さい鼠がいる。始終は見
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