つかなかった。
 六三郎は懐ろに書置きを持っていた。それは親方に宛てたもので、単に御恩を仇《あだ》に心得違いをして相済まないという意味が認《したた》めてあった。お園は自分と仲のいい朋輩に宛てて一通の書置きを残してあった。それには六三さんを江戸へやるのがいかにも可哀そうだから一緒に死ぬということが書いてあった。お園が六三郎とそれほどの深い仲であったというのが今になって初めて判った。仲のいい朋輩すらもこの書置きを受け取るまでは、勤め盛り売れ盛りのお園が大工の丁稚と命賭けの恋に落ちていようとは思いもつかなかった。
「よくよく運が悪う生まれたのじゃ」と、親方は泣いて六三郎の死骸を引き取ろうとしたが、時の法律によって直ぐに引き取ることを許されなかった。心中したお園と六三郎との死骸は、千日寺のうしろにある俗に灰山という所に三日のあいださらされた。罪ある父の首を梟《さら》された場所を去らずに、その子は恋の亡骸《むくろ》を晒《さら》したのであった。
 三日の後に六三郎の死骸は親方に引き渡された。お園は身寄りもないので主人に引き渡された。
 お園と六三郎とが心中した日に、神崎では御駕籠の十右衛門という者
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