「よく気がついた。当分お詣りもできまいから、おふくろの墓へ行って、よくその訳をいって拝んで来るがいい」と、親方は幾らかの布施《ふせ》を包んでくれた。
六三郎はありがたくその布施をいただいて、午《ひる》すぎから親方の家を出た。今日もどんよりと陰った日で、裏の空地の桜は風もないのにもう散りそめていた。
寺は六三郎が昔住んだ長町《ながまち》裏にあった。親方の家へ引き取られてからも六三郎は参詣を欠かしたことがないので、住職にも奇特《きどく》に思われていた。住職も今度の一条を知っているので、六三郎の不運を気の毒がって親切に慰めてくれた。江戸へ行くというのを聞いて、成る程それもよかろう、たとい幾年留守にしても阿母《おっか》さんの墓を無縁にするようなことは決してしない、安心して行くがよいと、これも江戸の知りびとに添え手紙などを書いてくれた。
暇《いとま》乞いをして寺を出るころには雨が降って来た。六三郎は雨の中を千日寺へも行った。父の死首《しにくび》はもう梟《さら》されていないでも、せめて墓詣りだけでもして行きたいと思ったのである。死罪になった者の死体は投げ込み同様で、もとより墓標なども見えなか
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