った。彼はお園に逢って、江戸へ行かなければならなくなった訳を沈んだ声で物語った。お園も一度は驚いたが、親方の意見も無理はないと思った。なるほど当分は気を抜くためにこの土地を立ち退くのが六三郎の身の為でもあろうと考えた。
 他国の奉公は辛くもあろうが、そこが辛抱である。石に喰い付いても我慢しなければ男一匹とはいわれまい。お前が帰って来る頃には、わたしの年季も丁度明ける。そうしたら、どんな狭い裏家《うらや》住みでも二人が世帯を持って、かねての約束通りに末長く一緒に添い遂げられる。それを楽しみに二人は当分分かれ分かれになって、西と東で暮らすことにしよう。二年三年はおろか、たとい五年が十年でもわたしはきっと待っている。わたしの心に変りはない。お前も江戸の若い女子《おなご》に馴染などを拵《こさ》えて、わたしという者のあることを忘れてくれるな。親方の所へたよりをする伝手《つで》があったら、わたしの方へもたよりを聞かしてくれ。いよいよ発つという時には、もう一度逢いに来てくれと、お園は細々《こまごま》と言い聞かせて、その晩も格子の先で男と別れた。
 六三郎ももう決心した。一旦は懐かしい大坂の土にも離れ
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