六三郎はいつまでも日蔭者で、晴れて世間を渡ることもできまい。いっそ世間から忘れられるように当分は他国へやった方がいいかとも思った。
「お前も科人《とがにん》の子と指さされてはこの大坂にも住みづらかろう。おれが添え手紙をして江戸の親方衆に頼んでやるから、ほとぼりの冷《さ》めるまで二年か三年か、江戸へ行って修業して来い」
と、親方は言った。
六三郎は素直に承知した。兄弟子たちもそれがよかろうと勧めた。
今の六三郎としては、当分この土地を立ち退くというのが最も利口な方法であったに相違ない。六三郎もそう思った。しかしそれを断行するには、彼に取って辛い悲しいことが二つあった。第一はお園に別れることで、その理由はいうまでもない。第二はこの土地を去ることである。大坂に生まれて大坂以外に一度も足を踏み出したことのない六三郎は、自分を呪う大坂の土がやっぱり懐かしかった。見も知らない他国へひとり身で飛び込んで行くのが何だか恐ろしかった。海賊の子と指さされて大坂に住むのも辛いが、他国者と侮られて江戸に住むのも苦しかろうと、それが彼の小さい胆《きも》をおびえさせた。
六三郎は三月十五日の晩に福島屋へ行
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