渡辺崋山の名画が一円五十銭か二円ぐらいで古道具屋の店《たな》ざらしになっている時節でしたから、歌麿も抱一上人もあったものでございません、みんな二束三文に売払ってしまったのでございます。その時分でも母などは何だか惜しいようだと言っておりましたが、父は思い切りのいい方で、未練なしに片っぱしから処分しましたが、それでも自分の好きな書画七、八点と屏風一|双《そう》と骨董類五、六点だけを残しておきました。
その骨董類は、床の置物とか花生けとか文台とかいうたぐいの物でしたが、そのなかに一つ、木彫りの猿の仮面《めん》がありました。それは父が近いころに手に入れたもので、なんでもその前年、明治四年の十二月の寒い晩に上野の広小路を通りますと、路ばたに薄い筵《むしろ》を敷いて、ちっとばかりの古道具をならべている夜店が出ていました。芝居に出る浪人者のように月代《さかやき》を長くのばして、肌寒そうな服装《みなり》をした四十恰好の男が、九つか十歳《とお》ぐらいの男の子と一緒に、筵の上にしょんぼりと坐って店番をしています。
その頃にはそういう夜店商人がいくらも出ていましたので、これも落ちぶれた士族さんが家の道具
前へ
次へ
全256ページ中71ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング