で、父の市兵衛はいよいよ見切りを付けまして、百何十年もつづけて来た商売をとうとうやめることに決心しました。さりとて不馴れの商売なぞをうっかり始めるのは不安心で、士族の商法という生きた手本がたくさんありますから、田町《たまち》と今戸《いまど》辺に五、六軒の家作があるのを頼りに、小体《こてい》のしもた家暮らしをすることになりました。
父は若いときから俳諧が好きでして、下手か上手か知りませんが、三代目夜雪庵の門人で羅香と呼んでおりまして、すでに立机《りゅうぎ》の披露も済ませているのですから、曲りなりにも宗匠格でございます。そこでこの場合、自分の好きな道にゆっくり遊びたいというのと、二つには芸が身を助けるというような意味もまじって、俳諧の宗匠として世を渡ることにしましたが、今までとは違って小さい家へ引籠るのですから、余計な荷物の置きどころがないのと、邪魔なものは売払ってお金にしておく方がいいというので、不用のがらくたは勿論のこと、祖父の代から集めていました、書画や骨董のたぐいも大抵売払ってしまいました。
御承知でもございましょうが、明治初年の書画骨董ときたらほんとうの捨て売りで、菊池容斎や
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