の意見はどうであろうとも、実際、かの内田が自己催眠に罹《かか》っていたにしても――僕の眼にそれが赤座の姿と見えたのはどういう訳だろう。あるいは自己催眠の結果、内田自身ももう赤座になり澄ましたような心持になって、言語動作から風采までが自然に赤座に似て来たのだろうか。それとも僕もその当時、一種の催眠術にかかっていたのだろうか。」
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   猿《さる》の眼《め》


     一

 第四の女は語る。

 わたくしは文久《ぶんきゅう》元年|酉歳《とりどし》の生れでございますから、当年は六十五になります。江戸が瓦解《がかい》になりました明治元年が八つの年で、吉原の切解《きりほど》きが明治五年の十月、わたくしが十二の冬でございました。御承知でもございましょうが、この年の十一月に暦《こよみ》が変りまして、十二月三日が正月元日となったのでございます。いえ、どうも年をとりますとお話がくどくなってなりません。前置きはまずこのくらいに致しまして、本文《ほんもん》に取りかかりましょう。まことに下《くだ》らない話で、みなさまがたの前で子細らしく申上げるようなことではないのでございますが、席順が丁
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