度わたくしの番に廻ってまいりましたので、ほんの申訳ばかりにお話をいたしますのですから、どうぞお笑いなくお聴きください。
まことにお恥かしいことでございますが、その頃わたくしの家は吉原の廓内《くるわうち》にありまして、引手《ひきて》茶屋を商売にいたしておりました。江戸の昔には、吉原の妓楼《ぎろう》や引手茶屋の主人にもなかなか風流人がございまして、俳諧をやったり書画をいじくったりして、いわゆる文人墨客《ぶんじんぼっかく》というような人たちとお附合いをしたものでございます。わたくしの祖父や父もまずそのお仲間でございまして、歌麿のかいた屏風だとか、抱一《ほういつ》上人のかいた掛軸だとかいうようなものが沢山《たくさん》にしまってありました。
祖父はわたくしが三つの年に歿しまして、明治元年、江戸が東京と変りましたときには、当主の父は三十二で、名は市兵衛と申しました。それが代々の主人の名だそうでございます。なにしろ急に世の中が引っくり返ったような騒ぎですから、世間一統がひどい不景気で、芝居町や吉原やすべての遊び場所がみんな火の消えたような始末。おまけに新富町には新島原の廓が新しく出来ましたので、
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