てゆく。僕はいよいよ不安になって、幾たびか呼び返しながらそのあとを追って行った。八月以来ここらの山路には歩き馴れているので、僕もかなりに足が早いつもりであるが、彼の歩みはさらに早い。わずかのうちに二間離れ、三間離れてゆくので、僕は息を切って登っても、なかなか追い付けそうもない。あたりはだんだんに暗くなって、寒い雨がしとしとと降って来る。勿論、ほかに往来の人などのあろうはずもないので、僕は誰の加勢を頼むわけにもいかない。薄暗いなかで彼のうしろ姿を見失うまいと、梟《ふくろう》のような眼をしながら唯ひとりで一生懸命に追いつづけたが、途中の坂路の曲り角でとうとう彼を見はぐってしまった。
「赤座君。赤座君。」
僕の声はそこらの森に谺《こだま》するばかりで、どこからも答える者はなかった。それでも僕は根《こん》よく追っかけて、とうとう一本杉の茶屋の前まで来たが、赤座の姿はどうしても見付からないので、僕の不安はいよいよ大きくなった。茶屋の人を呼んで訊ねてみたが、日は暮れている、雨はふる、誰も表には出ていないので、そんな人が通ったかどうだか知らないという。これから先は妙義の難所で、第一の石門はもう眼の
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