―そんな想像はみんなはずれて、彼はむかし通りの五分刈り頭で、田舎仕立てながらも背広の新しい洋服を着て、どこにも変った点はちっとも見いだされなかった。ただ鼻の下にうすい髯《ひげ》をたくわえたのが少しく彼をもったいらしく見せているだけで、彼はやはり学生時代とおなじように若々しい顔の持主であった。
「やあ。」
「やあ。」
 こんな簡単な挨拶が交換された後に、彼は自分のそばに立っている小柄の娘を僕に紹介した。それが彼の妹の伊佐子というので、年は十九であるそうだが、いかにも雪国の女を代表したような色白のむすめで、可愛らしい小さい眼と細い眉とをもっていた。
「いい妹さんだね。」
「むむ。母がいなくなってから、家《うち》のことはみんな此女《これ》に頼んでいるんだ。」と、赤座はにこにこしながら言った。
 一緒に電車に乗って僕の家まで来るあいだにも、この兄妹が特別の親しみをもっているらしいことは僕にもよく想像された。それから約一カ月も僕の家に滞在して、教社の用向きや東京見物に春の日を暮らしていたが、たしか四月の十日と記憶している。僕は兄妹を誘って向島の花見に出かけると、それほどの強い降りでもなかったが、
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