ことは相成らぬと手強くはねつけると、相手の若侍は顔の色を変えた。
この上はそれがしにも覚悟があると言って、彼は刀の柄に手をかけた。問答|無益《むやく》とみて、弥次右衛門も身がまえした。それからふた言三言いい募った後、ふたつの刀が抜きあわされて、素姓の知れない若侍は血みどろになって弥次右衛門の眼のまえに倒れた。
「その笛は貴様に祟るぞ。」
言い終って彼は死んだ。訳もわからずに相手を殺してしまって、弥次右衛門はしばらく夢のような心持であったが、取りあえずその次第を届け出ると、右の通りの事情であるから弥次右衛門に咎めはなく、相手は殺され損で落着《らくちゃく》した。彼に笛をゆずった四国遍路は何者であるか、のちの若侍は何者であるか、勿論それは判らなかった。
相手を斬ったことはまずそれで落着したが、ここに一つの難儀が起った。というのは、この事件が藩中の評判となり、主君の耳にもきこえて、その笛というのを一度みせてくれという上意が下《くだ》ったことである。単に御覧に入れるだけならば別に子細はないが、殿のお部屋さまは笛が好きで、価《あたい》を問わずに良い品を買い入れていることを弥次右衛門はよく知っ
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