ると、かれは更に進み寄って、噂にきけば御貴殿は先日このところにおいて四国遍路の病人を介抱して、その形見として袋入りの笛を受取られたということであるが、その四国遍路はそれがしの仇でござる。それがしは彼の首と彼の所持する笛とを取るために、はるばると尋ねてまいったのであるが、かたきの本人は既に病死したとあれば致し方がない、せめてはその笛だけでも所望いたしたいと存じて、先刻からここにお待ち受け申していたのでござると言った。
 藪から棒にこんなことを言いかけられて、弥次右衛門の方でも素直に渡すはずがない。彼は若侍にむかって、お身はいずこのいかなる御仁《ごじん》で、またいかなる子細でかの四国遍路をかたきと怨まれるか、それを承った上でなければ何とも御挨拶は出来ないと答えたが、相手はそれを詳しく説明しないで、なんでもかの笛を渡してくれと遮二無二《しゃにむに》彼に迫るのであった。
 こうなると弥次右衛門の方には、いよいよ疑いが起って、彼はこんなことを言いこしらえて大切の笛を騙《かた》り取ろうとするのではあるまいかとも思ったので、お身の素姓、かたき討の子細、それらが確かに判らないかぎりは、決してお渡し申す
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