半年と経たないうちに、その地面も家作もみな人手にゆずり渡してしまいました。
 そうなると、世間では碌なことは言いません。あすこの家は、飯田の御新造の幽霊が出るの何のと取留めもないことを言い触らす者がございます。しかしその後に引移って来た藤岡さんという方の奥さんが、五年目の明治二十四年にインフルエンザでなくなり、またそのあとへ来た陸軍中佐の方が明治二十七年の日清戦争で戦死し、その次に来た松沢という人が株の失敗で自殺したのは事実でございます。
 わたくしも二十年ほど前にそこを立退きましたので、その後のことは存じません。近年はあの辺がめっきり開けましたので、飯田さんの家というのも今はどこらになっているのか、まるで見当が付かなくなってしまいました。おそらく竹藪が伐り払われると共に取毀されたのでございましょう。
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   笛塚《ふえづか》

     一

 第十一の男は語る。

 僕は北国の者だが、僕の藩中にこういう怪談が伝えられている。いや、それを話す前に、かの江戸の名奉行根岸肥前守のかいた随筆「耳袋《みみぶくろ》」の一節を紹介したい。
「耳袋」のうちにはこういう話が書いてある
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