。美濃《みの》の金森兵部少輔の家が幕府から取潰されたときに、家老のなにがしは切腹を申渡された。その家老が検視の役人にむかって、自分はこのたび主家の罪を身に引受けて切腹するのであるから、決してやましいところはない。むしろ武士として本懐に存ずる次第である。しかし実を申せば拙者には隠れたる罪がある。若いときに旅をしてある宿屋に泊ると、相宿《あいやど》の山伏が何かの話からその太刀をぬいて見せた。それが世にすぐれたる銘刀であるので、拙者はしきりに欲しくなって、相当の価でゆずり受けたいと懇望したが、家重代《いえじゅうだい》の品であるというので断られた。それでもやはり思い切れないので、あくる朝その山伏と連れ立って人通りのない松原へ差しかかったときに、不意に彼を斬り殺してその太刀を奪い取って逃げた。それは遠い昔のことで、幸いに今日《こんにち》まで誰にも覚られずに月日を送って来たが、今更おもえば罪深いことで、拙者はその罪だけでもかような終りを遂げるのが当然でござると言い残して、尋常に切腹したということである。これから僕が話すのも、それにやや似通っているが、それよりも、さらに複雑で奇怪な物語であると思って
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