しょう。その官員さんの囲いもの――そのころは権妻《ごんさい》という詞《ことば》が流行っておりました。――になって、この番衆町に地面や家を買ってもらって、旦那様はときどきに忍んで来たというわけでございました。
 それで四、五年は無事であったのですが、この春ごろから旦那様の車がだんだんに遠ざかって、六月頃からはぱったりと足が止まってしまいました。飯田の御新造も心配していろいろ探索してみると、旦那様は柳橋の芸妓に新しいお馴染が出来たということが判りました。しかもその芸妓は、御新造が勤めをしているころに妹分同様にして引立ててやった若い女だと判ったので、御新造は歯がみをして口惜《くや》しがったそうでございます。
 もっとも旦那様から月々のお手当はやはり欠かさずに届けて来るので、生活に困るというようなことはなかったのですが、妹分の女に旦那を取られたのが無暗に口惜しかったらしい。それは無理もないことですが、この御新造は人一倍に嫉妬ぶかい質《たち》とみえまして、相手の芸妓が憎くてならなかったのです。
 旦那様が番衆町の方から遠のいたのは、わたくしの想像した通り、御新造に頑固な婦人病があったからで、これ
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