来はみな俄浪人となった。そのなかで大滝庄兵衛は夫婦のほかに家族もなく、平生から心がけもよかったので、家には多少の蓄財もある。浪人しても差しあたり困るようなこともないので、僅かの家来どもには暇を出して、庄兵衛は館山の城下を退散した。しかし、彼は自分ひとりというわけにはゆかなかった。彼にはお冬という女が付きまとっていた。庄兵衛もそれを振捨てて行こうとは思わないので、歩行の不自由な女を介抱しながら、ともかくも江戸の方角へ向うことにして、便船《びんせん》をたのんで上総《かずさ》へ渡り、さらに木更津から船路の旅をつづけてつつがなく江戸へはいった。
 それは庄兵衛が不義者として妻と中間とを成敗してから一年の後で、庄兵衛は四十六歳、お冬は十九歳の夏であった。
 かれらはもう公然の夫婦で、浅草寺《せんそうじ》に近いところに仮住居を求め、当分はなす事もなしに月日を送っていた。安房の里見といえば名家ではあるが、近年はその武道もあまり世にきこえないので、里見浪人をよろこんで召抱えてくれる屋敷もなかった。お冬も武家奉公を好まなかった。一本足の女、しかも自分とは親子ほども年の違う女を、拙者の妻でござるといって武
前へ 次へ
全256ページ中189ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング