疑った。与市の母や兄はもちろん不承知であった。しかし里方としても確かに不義でないという反証を提出することは出来なかった。与市の母や兄は身分ちがいの悲しさに、しょせんは泣き寝入りにするのほかはなかった。
 それと同時に、与市の家へは庄兵衛の使が来て、左様な不埒《ふらち》者の宿許《やどもと》へお冬を預けておくことは出来ぬというので、迎いの乗物にお冬を乗せて帰った。その日から一本足の美しい女は庄兵衛の屋敷の奥に養われることになったのである。
 何分にも主人の家が潰れるか立つか、自分たちも生きるか死ぬか、それさえも判らぬという危急存亡の場合であるから、誰もそんなことを問題にする者はなかった。

     三

 不安と動揺のうちに一年を送って、あくれば元和《げんな》元年である。その年の五月には大坂は落城して、いよいよ徳川家一統の世になった。今まで無事でいたのを見ると、或いはこのままに救われるかとも思っていたのは空頼みで、大坂の埒《らち》があくと間もなく、五月の下旬に最後の判決が下された。里見の家は領地を奪われて、忠義は伯耆《ほうき》へ流罪を申付けられたのである。
 主人の家がほろびて、里見の家
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