のことであるというから、慶長十年の晩秋か初冬の頃であろう。
 当代の忠義に仕えている家来のうちに、百石取りの侍に大滝庄兵衛というのがあった。百石といっても、実際は百俵であったそうだが、この百石取りが百人あって、それを安房の百人衆と唱え、里見の部下ではなかなか幅が利いたものであるという。その庄兵衛が夫婦と中間《ちゅうげん》との三人づれで館山《たてやま》の城下の延命寺へ参詣に行った。延命寺は里見家の菩提寺である。その帰り路に、夫婦は路傍にうずくまっている一人の少女をみた。
 少女は乞食であるらしく、夫婦がここへ通りかかったのを見て、無言で土に頭を下げると、夫婦も思わず立ちどまった。仏参の帰りに乞食をみて、夫婦はいくらかの銭《ぜに》を恵んでやろうとしたのではない。今度の忠義の代になってから、乞食に物を恵むことを禁じられていた。乞食などは国土の費《つい》えである。ひっきょうかれらに施し恵む者があればこそ、乞食などというものが殖えるのであるから、ひと粒の米、一文の銭もかれらに与えてはならぬと触れ渡されていた。庄兵衛夫婦も勿論その趣旨に従わなければならないのであるから、今や自分たちの前に頭を下げて
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