に変ったこともないらしく、与茂四郎も黙ってうなずきました。そうして、またしずかに言い出しました。
「折角の御馳走ではあるが、この蟹にはどなたも箸をおつけにならぬ方がよろしかろう。そのままでお下げください。」
 してみると、この蟹に子細があるに相違ありません。死相のあらわれている人は誰であるか。あらわにその名は指しませんけれども、主人の増右衛門らしく思われます。殊に祖母には思い当ることがあります。というのは、前から準備してあった七匹の蟹は七人の客の前に出して、あとから買った一匹を主人の膳に付けたのですから、その蟹に何かの毒でもあるのではないかとは、誰でも考え付くことです。
 主人もそれを聴いて、すぐにその蟹を下げるように言付けましたので、祖母も心得てその皿をのせたお膳を片付けはじめると、与茂四郎はまた注意しました。
「その蟹は台所の人たちにも食わせてはならぬ。みなお取捨てなさい。」
「かしこまりました。」
 祖母は台所へ行ってその話をしますと、そこにいる者もみな顔の色を変えました。とりわけて半兵衛は、その蟹を自分が探して来たのですから、いよいよ驚きました。そこで念のために家の飼犬を呼んで
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