り手広くやっていましたので、店のことは番頭どもに大抵任せておきまして、主人とはいいながら、曽祖父の増右衛門は自分の好きな俳諧をやったり、書画骨董などをいじくったりして、半分は遊びながら世を送っていたらしいのです。そういう訳でしたから、書家とか画家とか俳諧師という人たちが北国の方へ旅まわりして来ると、きっとわたくしの家へ草鞋《わらじ》をぬぐのが習いで、中には二月も三月も逗留して行くのもあったといいます。
 このお話の時分にも、やはりふたりの客が逗留していました。ひとりは名古屋の俳諧師で野水《やすい》といい、ひとりは江戸の画家で文阿《ぶんあ》という人で、文阿の方が二十日《はつか》ほども先に来て、ひと月以上も逗留している。野水の方はおくれて来て、半月ばかりも逗留している。そこで、なんでも九月のはじめの晩のことだといいます。主人の増右衛門が自分の知人でやはり俳諧や骨董の趣味のあるもの四人を呼びまして、それに、野水と文阿を加えて主人と客が七人、奥の広い座敷で酒宴を催すことになりました。
 呼ばれた四人は近所の人たちで、暮れ六つごろにみな集まって来ました。お膳を据える前に、まずお茶やお菓子を出して
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