、七人がいろいろの世間話などをしているところへ、ぶらりとたずねて来たのは坂部|与茂四郎《よもしろう》という浪人でした。浪人といっても、羊羹色の黒羽織などを着ているのではなく、なかなか立派な風をしていたそうです。
御承知でもございましょうが、江戸時代にはそこらは桑名藩の飛地《とびち》であったそうで、町には藩の陣屋がありました。その陣屋に勤めている坂部与五郎という役人は、年こそ若いがたいそう評判のよい人であったそうで、与茂四郎という浪人はその兄《あに》さんに当るのですが、子供のときからどうもからだが丈夫でないので、こんにちでいえばまあ廃嫡というようなわけになって、次男の与五郎が家督を相続して、本国の桑名からここの陣屋詰を申付かって来ている。
兄さんの与茂四郎は早くから家を出て、京都へのぼって或る人相見のお弟子になっていたのですが、それがだんだんに上達して、今では一本立ちの先生になって諸国をめぐりあるいている。人相を見るばかりでなく、占いもたいそう上手だということで、この時は年ごろ三十二三、やはり普通の侍のように刀をさしていて、服装《みなり》も立派、人柄も立派、なんにも知らない人には、立
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