。今ときどきに思い出さずにはいられない。
[#改ページ]

   蟹《かに》


     一

 第八の女は語る。

 これはわたくしの祖母から聴きましたお話でございます。わたくの郷里は越後の柏崎で、祖父の代までは穀屋《こくや》を商売にいたしておりましたが、父の代になりまして石油事業に関係して、店は他人に譲ってしまいました。それを譲り受けた人もまた代替りがしまして、今では別の商売になっていますが、それでも店だけは幾分か昔のすがたを残していまして、毎年の夏休みに帰省しますときには、いつも何だか懐かしいような心持で、その店をのぞいて通るのでございます。
 祖母は震災の前年に七十六歳で歿しましたが、嘉永《かえい》元年|申《さる》歳の生れで、それが十八の時のことだと申しますから、たぶん慶応初年のことでございましょう。祖母はお初と申しまして、お初の父――すなわちわたくしの曽祖父《ひいじじい》にあたる人は増右衛門、それがそのころの当主で、年は四十三四であったとか申します。先祖は出羽《でわ》の国から出て来たとかいうことで、家号は山形屋といっていました。土地では旧家の方でもあり、そのころは商売もかな
前へ 次へ
全256ページ中152ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング