だんう》のあいだをくぐって、まかり間違えば砲弾のお見舞を受けないとも限らない現在の我れわれに取っては、家に妖ありぐらいは余り問題にならないのであった。
「それにしても、娘は遅いな。」
「支那の女はめったに外人に顔をみせないというから、出て来るのを渋っているのかも知れない。」
「ことに相手が我れわれでは、いよいよ渋っているのだろう。」
 前面には砲声が絶えずとどろいているが、この頃の僕たちはもうそれに馴れ切ってしまったので、重砲のひびきも曳光弾《えいこうだん》のひかりも、さのみに我れわれの神経を刺戟しなくなった。僕たちはそこらに行儀わるく寝ころんで、しきりに娘の噂をしているあいだに、きょうの日ももう暮れかかって、秋の早い満洲のゆうべは薄ら寒くなって来たので、土間の隅に積んである高粱《コウリャン》を折りくべて、僕たちは霜を恐れるきりぎりす[#「きりぎりす」に傍点]のように竈《かまど》の前にあつまった。

     二

「敵もいい加減にしないかな。早く遼陽へ行ってみたいものだ。」
 むすめの噂も飽きて来て、さらにいつもの戦争のうわさに移ったときに、足音をぬすむようにしてかの老人が再びここへ
前へ 次へ
全256ページ中137ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング