埋もれたる古井戸のあるのを発見して、水の清いのを喜んでそのままに用い来たったものらしい。
 源平時代からこの天保初年までは六百余年を経過している。その間、平家の公達のたましいを宿した二つの鏡は、古井戸の底に眠ったように沈んでいたのであろう。それがどうして長い眠りから醒めて、なんの由縁《ゆかり》もない後住者の子孫を蠱惑《こわく》しようと試みたのか、それは永久の謎である。鏡は由井家の菩提寺へ納められて、吉左衛門が施主となって盛大な供養の式を営んだ。
 その鏡はなんとかいう寺の宝物のようになっていて、明治以後にも虫干《むしぼし》の時には陳列して見せたそうであるが、今はどうなったか判らない。由井の家は西南戦争の際に、薩軍の味方をしたために、兵火に焼かれて跡方もなくなってしまったが、家族は長崎の方へ行って、今でも相当に暮らしているという噂である。その井戸は――それもどうしたか判らない。今ではあの辺もよほど開けたというから、やはり清水の井戸として大勢の人に便利をあたえているかも知れない。
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   窯変《ようへん》


     一

 第七の男は語る。

 明治三十七年八月二十九日
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