人ばかりでも三四十人も使って、大きい屋敷のまわりには竹藪をめぐらし、またその外には自然の小川を利用して小さい濠《ほり》のようなものを作っていた。土地の者がその門前を通るときは、笠をぬぎ、頬かむりを取って、いちいち丁寧に挨拶して行き過ぎるという風で、その近所近辺の村びとには大方ならず尊敬されていた。当主は代々吉左衛門の名を継ぐことになっていて、この話の天保初年には十六代目の吉左衛門が当主であったそうだ。
由井吉左衛門にふたりの娘があって、姉はおそよ、妹はおつぎといった。この姉妹《きょうだい》がある年の秋のはじめ頃からだんだんに痩せおとろえて、いわゆるぶらぶら病いという風で、昼の食事も進まず、夜もおちおちとは眠られないようになったので、両親もひどく心配して遠い熊本の城下から良い医師をわざわざ呼び迎えて、いろいろに手あつい療治を加えたが、姉妹ともにどうも捗々《はかばか》しくない。どの医師もいたずらに首をかしげるばかりで、一体なんという病症であるかも判らない。
おそよは十八、おつぎは十六、どっちも年頃《としごろ》の若い娘であるから、世にいう恋煩《こいわずら》いのたぐいではないかとも疑われた
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