。ただしこれは最近の出来事ではない。なんでも今から九十年ほども昔の天保《てんぽう》初年のことだと聴いている。
 僕の郷里の町から十三里ほども離れたところに杉堂という村がある。そこから更にまた三里あまり引っ込んだところだというから、今日《こんにち》ではともかくも、そのころでは、かなり辺鄙《へんぴ》な土地であったに相違ない。そこに由井《ゆい》吉左衛門という豪家があった。なんでも先祖は菊池の家来であったが、菊池がほろびてからここに隠れて、刀を差しながら田畑を耕《たがや》していたのだそうだが、理財の道にも長《た》けていた人物とみえて、だんだんに土地を開拓して、ここらでは珍しいほどの大《おお》百姓になりすました。そうして子孫連綿として徳川時代までつづいて来たのであるから、土地のものは勿論、代々の領主もその家に対しては特別の待遇をあたえて、苗字帯刀を許される以外に、新年にはかならず登城して領主に御祝儀を申上げることにもなっていた。
 そんなわけで、百姓とはいうものの一種の郷士のような形で、主人が外出する時には大小を差し、その屋敷には武具や馬具なども飾ってあるという半士半農の生活を営んでいて、男の雇
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