。)
中二 これ、どうしたんです。お父さん、しっかりおしなさいよ。
柳 お前さんまでが何《ど》うしたんだよ。
(この騒ぎに、高田も寝室より出づ。)
高田 お父さんが又どうかしたんですか。さっきも驚いて倒れかかったが……。(又もや嘆息して。)まったく無理もないな。
李中行 (唸るように。)水をくれ……。水をくれ……。
(中二と高田は李を介抱して榻にかけさせ、柳は茶碗に水を汲んで来て飲ませる。これで少しく落付くと、高田も棚の茶碗を把りてバケツの水を飲む。)
柳 (不安らしく。)急にどうしたんだろうねえ。
中二 脳貧血でも起したのかも知れませんよ。お父さん、もう気分は好いんですか。
李中行 もう好い、もう好い。だが、どうも怖ろしくてならない。(俄に立上る。)これ、そこらに蝦蟆はいないか。
中二 蝦蟆……。
李中行 それ、このあいだの晩の……三本足の青い蝦蟆だ。(恐るる如くに見まわす。)よく見てくれ、探してくれ。
(中二と柳はあたりを見まわす。高田も見まわす。)
中二 蝦蟆なぞは見えませんよ。
高田 そんな物はいません、いません。
李中行 いないか。
中二 相変らず蝦蟆に取憑かれているんだな。(少しく声を強めて。)それはお父さんの眼のせいですよ。
李中行 ほんとうに居ないかな。(腰をおろして大息をつく。)ああ、怖ろしいことだ。
高田 何がそんなに怖ろしいのです。
李中行 いや、まあ、皆んな聴いてくれ。こうなったら正直に打明けるが、このあいだの晩、おれが青蛙神に祈ったときに、どうぞここ一月のうちに八千|両《テール》の金をわたくしにお授け下さいと……。
中二 八千両……。
李中行 そうだ、八千両……。実は一万両と云いたかったのだが、それではあんまり慾が深過ぎるかと遠慮して、八千両と祈ったのだが……。そうすると、どうだ。(恐怖に身をふるわせる。)それから五日目の今日《きょう》になって、八千両の半分――四千両が不意に授かるようになった。併しその四千両は……大事な娘の命と引換えになったのだ。
(聴いている三人も思わず顔を見あわせる。)
李中行 ああ、考えても怖ろしい。そこで、残りの四千両――それを授けられる時には、又ひとりの生贄を取られることになるだろう。いや、それに相違ないのだ。(更に身を顫《ふる》わせる。)さあ、今度はだれの番だ……。誰の番だ……。
(三人も一種の恐怖に襲われたように黙っている。下のかたより會徳を先に村の男村の女出で、窓の外より内を窺う。)
李中行 (いよいよ亢奮して。)さあ、今度は誰だ……。誰だ……。だれの命が四千両と引換えになるのだ。
(李は狂うように立ちかかるを、三人は捨台詞にておさえる。會徳等は内をのぞいて不安らしく囁き合う、家々の砧の音高くきこゆ。)
[#地から1字上げ]――幕――
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 第三幕の登場人物
李中行
その妻 柳
そのせがれ 中二
高田圭吉
村の男 會徳
第一の男
第二の男
ほかに村の男三人
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          第三幕

 おなじく李中行の家。
 第二幕より更に十五日の後。小雨ふる宵。
(李中行と高田圭吉が卓の前に向い合っている。卓の上には小さいランプが置いてある。薄く雨の音、虫の声さびしく聞《きこ》ゆ。)
高田 (立ちかかる。)相変らずお邪魔をしました。
李中行 (あわてて引留めるように。)まあ、もう少し話して行ってください。お前さんが帰ってしまうと、急にさびしくなっていけない。中二が来るまで待っていて下さいよ、お願いですから……。
高田 (躊躇して。)中二君は今夜も来るんですか。
李中行 来ます、来ます。ゆうべは店の都合で出られなかったが、今夜はきっと来ると云っていました。今夜は泊るでしょう。
高田 泊るんですか。
李中行 なにしろ、娘がああ云うことになってしまって、わたし達ふたりでは寂しくって仕様がないので、主人にも訳を話して、当分は一晩置きぐらいに泊りに来て貰うことにしているのです。それだから、今夜は屹《きっ》と泊りに来ますよ。(寝室をみかえる。)あの一件以来、女房は半病人のような姿でぼんやりしている。私ひとりでは何《ど》うにもなりませんからね。
高田 (嘆息して。)察していますよ。
李中行 察してください。今度のことに就いて、誰でも皆んな気の毒だと云っては呉れるが、そのなかでも本当にわたし達の心を察してくれるのは、高田さん、お前さんばかりだ。ねえ、そうでしょう。お前さんが毎日墓参りに行ってくれるので、娘もどんなに喜んでいるか知れませんよ。(声を陰らせる。)あんなことさえ無ければ、ねえ、お前さん。近いうちに、おたがいに親類になれるのだったが……。
高田 あれ以来、僕も何だか大連にいるのが忌《いや》になったので、いっそ内地へ帰って仕舞おうかとも思ったんですが、帰った
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