一度よく検めてみよう。」
 かれらは念のために、再びその風呂敷をあけて見て、一度にあっ[#「あっ」に傍点]と言った。中間も思わず声をあげた。
 風呂敷につつまれた女の生首は元の西瓜に変っているのである。叩いてみても、転がして見ても、それは確かに青い西瓜である。西瓜が生首となり、さらに西瓜となり、さながら魔術師に操られたような不思議を見せたのであるから、諸人のおどろかされるのも無理はない、それも一人の眼ならば見損じということもあろうが、若い侍が三人、若い中間が一人、その四人の眼に生首とみえたものが忽ち西瓜に変るなどとは、まったく狐に化かされたとでもいうのほかはあるまい。かれらは徒《いたず》らに呆れた顔を見合せて、しばらくは溜息をついているばかりであった。

     二

 伊平は無事に釈《ゆる》された。
 いかに評議したところで、結局どうにも解決の付けようがないので、武勇を誇るこの辻番所の若侍らも伊平をそのまま釈放してしまった。たといその間にいかなる不思議があったにしても、西瓜が元の西瓜である以上、かれらはその持参者の申立てを信用して、無事に済ませるよりほかはなかったのである。伊平は早々にここを立去った。
 表へ出て若い中間はほっとした。かれは疑問の西瓜をかかえて、湯島の方へ急いで行きかけたが、小半町《こはんちょう》ほどで又立ちどまった。これをこのまま先方へとどけて好いか悪いかと、かれは不図《ふと》かんがえ付いたのである。どう考えても奇怪千万なこの西瓜を黙って置いて来るのは何だか気がかりである。さりとて、途中でそれが生首に化けましたなどと正直にいうわけにもいくまい。これはひとまず自分の屋敷へ引っ返して、主人に一応その次第を訴えて、なにかの指図を仰ぐ方が無事であろうと、かれは俄かに足の方角を変えて、本所の屋敷へ戻ることにした。
 辻番所でも相当に暇取ったので、長い両国橋を渡って御米蔵に近い稲城の屋敷へ帰り着いたころには、日もまったく暮れ切っていた。稲城は小身の御家人《ごけにん》で、主人の八太郎夫婦と下女一人、僕《しもべ》一人の四人暮らしである。折りから主人の朋輩の池部郷助《いけべごうすけ》というのが来合せて、奥の八畳の縁さきで涼みながら話していた。狭い屋敷であるから、伊平は裏口からずっと通って、茶の間になっている六畳の縁の前に立つと、御新造《ごしんぞう》のお米《よね》
前へ 次へ
全17ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング