えた。かれはまだ江戸馴れない者であるらしく、殊に異常の恐怖に襲われて半分は酔った人のようになっていたが、それでも尋ねられることに対しては皆、ひと通りの答弁をしたのである。彼は本所の御米蔵《おこめぐら》のそばに小屋敷を持っている稲城《いなぎ》八太郎の奉公人で、その名を伊平といい、上総《かずさ》[#ルビの「かずさ」は底本では「かずき」]の八幡在から三月前に出て来た者であった。したがって、江戸の勝手も方角もまだよく判らない。きょうは主人の言いつけで、湯島の親類へ七夕《たなばた》に供える西瓜を持ってゆく途中、道をあやまって御徒町の方角へ迷い込んで来たものであるということが判った。
「湯島の屋敷へは今日はじめて参るものか。」と、番人は訊いた。
「いえ、きょうでもう四度目でござりますから、なんぼ江戸馴れないと申しても、道に迷う筈はないのでござりますが……。」と、中間は自分ながら不思議そうに小首をかしげていた。
「主人の手紙でも持っているか。」
「御親類のことでござりますから、別にお手紙はござりません。ただ口上だけでござります。」
「その西瓜というのはお前も検《あらた》めて来たのか。」
「お出入りの八百屋へまいりまして、わたくしが自分で取って来て、旦那様や御新造様のお目にかけ、それで宜しいというので風呂敷につつんで参ったのでござりますから……。」と、かれは再び首をかしげた。「それが途中でどうして人間の首に変りましたか。まるで夢のようでござります。まさかに狐に化かされたのでもござりますまいが……。なにがどうしたのか一向にわかりません。」
暮れ六つといっても、この頃の日は長いので往来は明るい。しかも江戸のまん中で狐に化かされるなどということのあるべき筈がない。さりとて田舎者丸出しで見るから正直そうなこの若い中間が嘘いつわりを申立てようとも思われないので、番人らも共に首をかしげた。第一、なにかの子細があって人間の生首を持参するならば、夜中《やちゅう》ひそかに持ち運ぶべきであろう。暮れ方といっても夕日の光りのまだ消え残っている時刻に、平気でそれを抱えあるいているのは、あまりに大胆過ぎているではないか。もし又、かれの申立てを真実とすれば、近ごろ奇怪千万の出来事で、西瓜が人間の生首に変るなどとは、どう考えても判断の付かないことではないか。番人らも実に思案に惑った。
「どうも不思議だな。もう
前へ
次へ
全17ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング