西瓜
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)雇人《やといにん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)静岡|在《ざい》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あっ[#「あっ」に傍点]と
−−

     一

 これはM君の話である。M君は学生で、ことしの夏休みに静岡|在《ざい》の倉沢という友人をたずねて、半月あまりも逗留していた。

 倉沢の家は旧幕府の旗本で、維新の際にその祖父という人が旧主君の供をして、静岡へ無禄移住をした。平生から用心のいい人で、多少の蓄財もあったのを幸いに、幾らかの田地を買って帰農したが、後には茶を作るようにもなって、士族の商法がすこぶる成功したらしく、今の主人すなわち倉沢の父の代になっては大勢の雇人《やといにん》を使って、なかなか盛んにやっているように見えた。祖父という人はすでに世を去って、離れ座敷の隠居所はほとんど空家同様になっているので、わたしは逗留中そこに寝起きをしていた。
「母屋《おもや》よりもここの方が静かでいいよ。」と、倉沢は言ったが、実際ここは閑静で居心のいい八畳の間であった。しかしその逗留のあいだに三日ほど雨が降りつづいたことがあって、わたしもやや退屈を感じないわけには行かなくなった。
 勿論、倉沢は母屋から毎日|出張《でば》って来て、話し相手になってくれるのではあるが、久し振りで出逢った友達というのではなし、東京のおなじ学校で毎日顔をあわせているのであるから、今さら特別にめずらしい話題が湧き出して来よう筈はない。その退屈がだんだんに嵩《こう》じて来た第三日のゆう方に、倉沢は袴羽織という扮装《いでたち》でわたしの座敷へ顔を出した。かれは気の毒そうに言った。
「実は町にいる親戚の家から老人が急病で死んだという通知が来たので、これからちょっと行って来なければならない。都合によると、今夜は泊まり込むようになるかも知れないから、君ひとりで寂しいだろうが、まあ我慢してくれたまえ。このあいだ話したことのある写本だがね。家《うち》の者に言いつけて土蔵の中から捜し出させて置いたから、退屈しのぎに読んで見たまえ。格別面白いこともあるまいとは思うが……。」
 彼は古びた写本七冊をわたしの前に置いた。
「このあいだも話した通り、僕の家の六代前の主人は享保から宝暦のころに
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