生きていたのだそうで、雅号を杏雨《きょうう》といって俳句などもやったらしい。その杏雨が何くれとなく書きあつめて置いた一種の随筆がこの七冊で、もともと随筆のことだから何処まで書けばいいということもないだろうが、とにかくまだこれだけでは完結しないとみえて、題号さえも付けてないのだ。維新の際に祖父も大抵のものは売り払ってしまったのだが、これだけはまず残して置いた。勿論、売るといったところで買い手もなく、さりとて紙屑屋へ売るのも何だか惜しいような気がするので、保存するという意味でもなしに自然保存されて、今日まで無事であったというわけだが、古つづらの底に押し込まれたままで誰も読んだ者もなかったのを、さきごろの土用干しの時に、僕が測らず発見したのだ。」
「それでも二足三文で紙屑屋なんぞに売られてしまわなくって好かったね。今日《こんにち》になってみれば頗《すこぶ》る貴重な書き物が維新当時にみんな反古《ほご》にされてしまったからね。」と、わたしはところどころに虫くいのある古写本をながめながら言った。
「なに、それほど貴重な物ではないに決まっているがね。君はそんなものに趣味を持っているようだから、まあ読んでみて、何か面白いことでもあったら僕にも話してくれたまえ。」
 こう言って倉沢は雨のなかを出て行った。かれのいう通り、わたしは若いくせにこんなものに趣味をもっていて、東京にいるあいだも本郷や神田の古本屋あさりをしているので、一種の好奇心も手伝ってすぐにその古本をひき寄せて見ると、なるほど二百年も前のものかも知れない。黴《かび》臭いような紙の匂いが何だか昔なつかしいようにも感じられた。一冊は半紙廿枚綴りで、七冊百四十枚、それに御家《おいえ》流で丹念に細かく書かれているのであるから、全部を読了するにはなかなかの努力を要すると、わたしも始めから覚悟して、きょうはいつもよりも早く電燈のスイッチをひねって、小さい食卓《ちゃぶだい》の上でその第一冊から読みはじめた。
 随筆というか、覚え帳というか、そのなかには種々雑多の事件が書き込まれていて、和歌や俳諧の風流な記事があるかと思うと、公辺の用務の記録もある。題号さえも付けてないくらいで、本人はもちろん世間に発表するつもりはなかったのであろうが、それにしても余りに乱雑な体裁《ていさい》だと思いながら、根《こん》よく読みつづけているうちに「深川仇討の
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