ら、夜行の列車で京都を立つと、午前十一時ごろにはここへ着くことになるだろう。」
「廿九日の午前十一時ごろ……。きっと、待っているよ。」と、彼は念を押した。
四
その日は終日暑かった。日が暮れてから私は裏手の畑のあいだを散歩していると、倉沢もあとから来た。
「君、例の西瓜畑の跡というのを見せようか。昔はまったく空地《あきち》にしてあったのだが、今日《こんにち》の世の中にそんなことを言っちゃあいられない。僕はしきりに親父に勧めて、この頃はそこら一面を茶畑にしてしまったのだ。」
彼は先に立って案内してくれたが、成程そこらは一面の茶畑で、西瓜の蔓が絡み合っていた昔のおもかげは見いだされなかった。広い空地に草をしげらせて、蛇や蛙の棲家にして置くよりも、こうすれば立派な畑になると、彼はそこらを指さして得意らしく説明した。その畑も次第に夕闇の底にかくれて、涼しい風が虫の声と共に流れて来た。
「おお、涼しい。」と、わたしは思わず言った。
「東京と違って、さすがに日が暮れるとずっと凌ぎよくなるよ。」
こう言いかけて、倉沢はうす暗い畑の向うを透かして視た。
「あ、横田君が来た。どうしてこんな方へ廻って来たのだろう。僕たちのあとを追っかけて来たのかな。」
「え、横田君……。」と、私もおなじ方角を見まわした。「どこに横田君がいるのだ。」
「それ、あすこに立っているじゃあないか。君には見えないか。」
「見えない、誰も見えないね。」
「あすこにいるよ。白い服を着て、麦わら帽をかぶって……。」と、彼は畑のあいだから伸び上がるようにして指さした。
しかも、わたしの眼にはなんにも見えなかった。横田というのは、東京の××新聞の社員で、去年からこの静岡の支局詰めを命ぜられた青年記者である。学生時代から倉沢を知っているというので、ここの家へも遊びに来る。わたしも倉沢の紹介で、このあいだから懇意になった。その横田がたずねて来るのに不思議はないが、その人の姿がわたしの眼にはみえないのである。倉沢は何を言っているのかと、わたしは少しく烟《けむ》に巻かれたようにぼんやりしていると、彼はわたしを置去りにして、その人を迎えるように足早に進んで行ったかと思うと、やがて続けてその人の名を呼んだ。
「横田君……横田君……。おや、おかしいな。どうしたろう。」
「君は何か見間違えているのだよ。」と、わたし
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