てあって「故《もとの》奉化州判符女、麗卿之|柩《ひつぎ》」としるし、その柩の前には見おぼえのある双頭の牡丹燈をかけ、またその燈下には人形の侍女《こしもと》が立っていて、人形の背中には金蓮の二字が書いてあった。それを見ると、彼はにわかにぞっ[#「ぞっ」に傍点]として、あわててそこを逃げ出して、あとをも見ずに我が家へ帰ったが、今夜もまた来るかと思うと、とても落ちついてはいられないので、その夜はとなりの老翁の家へ泊めてもらって、顫《ふる》えながらに一夜をあかした。
「ただ怖れていてもしようがない」と、老翁はまた教えた。「玄妙観《げんみょうかん》の魏《ぎ》法師は故《もと》の開府の王真人《おうしんじん》の弟子で、おまじないでは当今第一と称せられているから、お前も早くいって頼むがよかろう」
その明くる朝、喬生はすぐに玄妙観へたずねてゆくと、法師はその顔をひと目みておどろいた。
「おまえの顔には妖気が満ちている。いったい、ここへ何しに来たのだ」
喬生は、その座下に拝して、かの牡丹燈の一条を訴えると、法師は二枚の朱《あか》い符《ふ》をくれて、その一枚は門《かど》に貼れ、他の一枚は寝台《ねだい》に貼れ。そうして、今後ふたたび湖心寺のあたりへ近寄るなと言い聞かせた。
家へ帰って、その通りに朱符《しゅふ》を貼っておくと、果たしてその後は牡丹燈のかげも見えなくなった。それからひと月あまりの後、喬生は袞繍橋《てんしゅうきょう》のほとりに住む友達の家をたずねて、そこで酒を飲んで帰る途中、酔ったまぎれに魏法師の戒《いまし》めを忘れて、湖心寺の前を通りかかると、寺の門前には小女の金蓮が立っていた。
「お嬢さまが久しく待っておいでになります。あなたもずいぶん薄情なかたでございますね」
否応《いやおう》いわさずに彼を寺中へ引き入れて、西廊の薄暗い一室へ連れ込むと、そこには麗卿が待ち受けていて、これも男の無情を責めた。
「あなたとわたくしとは素《もと》からの知り合いというのではなく、途中でふとゆき逢ったばかりですが、あなたの厚い情けに感じて、わたくしの身をも心をも許して、毎晩かかさずに通いつめ、出来るかぎりの真実を竭《つく》しておりましたのに、あなたは怪しい偽道士《にせどうし》のいうことを真《ま》にうけて、にわかにわたくしを疑って、これぎりに縁を切ろうとなさるとは、あまりに薄情ななされかたで、わ
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