》は麗卿《れいけい》、名は淑芳《しゅくほう》と申しまして、かつて奉化《ほうか》州の判《はん》(高官が低い官を兼ねる)を勤めておりました者の娘でございますが、父は先年この世を去りまして、家も次第に衰え、ほかに兄弟もなく、親戚《みより》も少ないので、この金蓮《きんれん》とただふたりで月湖《げっこ》の西に仮住居をいたしております」
 今夜は泊まってゆけと勧めると、女をそれをも拒まないで、ついにその一夜を喬生の家《うち》に明かすことになった。それらのことはくわしく言うまでもない、「はなはだ歓愛を極む」と書いてある。夜のあけるころ、女はいったん別れて立ち去ったが、日が暮れると再び来た。金蓮という小女がいつも牡丹燈をかかげて案内して来るのであった。
 こういうことが半月ほども続くうちに、喬生のとなりに住む老翁《ろうおう》が少しく疑いを起こして、壁に小さい穴をあけてそっと覗いていると、紅《べに》や白粉《おしろい》を塗った一つの骸骨が喬生と並んで、ともしびの下に睦《むつ》まじそうにささやいていた。それを見て大いに驚いて、老翁は翌朝すぐに喬生を詮議すると、最初は堅く秘して言わなかったが、老翁に嚇《おど》されてさすがに薄気味悪くなったと見えて、彼はいっさいの秘密を残らず白状した。
「それでは念のために調べてみなさい」と、老翁は注意した。「あの女たちが月湖の西に住んでいるというならば、そこへ行ってみれば正体がわかるだろう」
 なるほどそうだと思って、喬生は早速に月湖の西へたずねて行って、長い堤《どて》の上、高い橋のあたりを隈《くま》なく探し歩いたが、それらしい住み家も見当たらなかった。土地の者にも訊《き》き、往来の人にも尋《たず》ねたが、誰も知らないというのである。そのうちに日も暮れかかって来たので、そこにある湖心寺《こしんじ》という古寺にはいってしばらく休むことにして、東の廊下をあるき、さらに西の廊下をさまよっていると、その西廊のはずれに薄暗い室《へや》があって、そこに一つの旅棺《りょかん》が置いてあった。旅棺というのは、旅さきで死んだ人を棺に蔵《おさ》めたままで、どこかの寺中《じちゅう》にあずけておいて、ある時期を待って故郷へ持ち帰って、初めて葬を営むのである。したがって、この旅棺について古来いろいろの怪談が伝えられている。
 喬生は何ごころなくその旅棺をみると、その上に白い紙が貼っ
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