まった。わたしは彼が死ぬまでその原稿を密封しておいた。以下は彼の事件の草稿で、一八八五年の日付けになっていた。

 私の医者はわたしに休養、転地の必要があると言っている。ところが、私には間もなくこの二つながらを実行することが出来るであろう。――但《ただ》し、わたしの休養とは、英国の伝令兵の声や午砲の音によって破られないところの永遠の安息であり、わたしの転地というのは、どの帰航船もわたしを運んで行くことの出来ないほどに遠いあの世へである。しばらくわたしは今いるところに滞在して、医師にあからさまに反対して、自分の秘密を打ち明けることに決心した。諸君は、おのずと私の病気の性質を精確に理解するとともに、かつて女からこの不幸な世の中に生みつけられた男のうちで、私のように苦しんできた者があるかどうかが、またおのずから分かるであろう。
 死刑囚が絞首台にのぼる前に懺悔《ざんげ》をしなければならないように、私もこれから懺悔話をするのであるが、とにかく、私のこの信じ難いほどに忌《いま》わしい狂乱の物語は、諸君の注意を惹《ひ》くであろう。けれども、私は自分のこの物語が永久に人びとから信じられるとは全然思わ
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