です」と、私は大きい声を出した。
 老紳士は笑いながら答えた。
「や、どうも、それは不思議な妄想ですな。いや、こうなると私の老眼を神様に感謝せざるを得ませんな。なるほど私もあの窓に可愛らしい女の顔を見ましたがね。しかし、私の眼には非常に上手な油絵の肖像画としか見えませんでしたがね」
 わたしは急いで振り返って、窓の方をながめると、そこには何者もいないばかりか、鎧戸もしまっていた。
 老紳士は言葉をつづけた。
「惜しいことでしたよ。もうちっと早ければようござんしたに……。ちょうどいま、あの邸にたった一人で住んでいる老執事が、窓の張り出しに油絵を立てかけて、その塵埃《ほこり》を払って、鎧戸をしめたところでした」
「では、ほんとうに油絵だったのですか」と、私はどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]しながら訊きかえした。
「ご安心なさい」と、老紳士は言った。「わたしの眼はまだたしかですよ。あなたは鏡に映った物ばかり見つめていられたから、よけいに眼が変になってしまったのです。私もあなたぐらいの時代には、よく美人画を思い出しただけで、大いに空想を描くことができたものでした」
「しかし、手や足が動きました
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