とおってきた。
「あなたは可愛らしい鏡をお持ちですな」
 こういう声に夢から醒めて、わたしは鏡から眼を離すと、わたしの両側には微笑をうかべながら私を眺めている人たちがあるので、私もすこぶる面喰らってしまった。かの人たちはわたしと同じベンチに腰をかけて、おそらく私が妙な顔をして鏡をながめているのをおもしろがって見物していたのであろう。
「あなたは可愛らしい鏡をお持ちですな」
 私がさきに答えなかったので、その人は再びおなじ言葉をくりかえした。
 しかも、その人の眼つきはその言葉よりも更に雄弁に、どうしておまえはそんな気違いじみた眼つきをしてその鏡に見惚《みと》れているかと、わたしに問いかけているのであった。その男はもう初老以上の年輩の紳士で、その声音《こわね》や眼つきがいかにも温和な感じをあたえたので、私は彼に対して自分の秘密を隠してはいられなくなった。私はかの窓ぎわの女を鏡に映していたことを打ち明けた上で、あなたもその美しい女の顔を見なかったかと訊いた。
「ここから……。あの古い邸の二階の窓に……」
 その老紳士は驚いたような顔をして、鸚鵡《おうむ》がえしに問いかえした。
「ええ、そう
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