いであった。
 私はこの窓の神秘的な女性にたましいを奪われてしまって、私のそばへ押し売りに来たイタリー人の物売りの声などは耳に入らないほどに興奮していた。そのイタリー人はとうとう私の腕をたたいたので、私ははっと我れにかえったが、あまりに忌《いま》いましかったので、おれにかまうな、あっちへ行けと言ってやったが、まだ口明けだからと執拗《しつこ》く言うので、早く追い払おうと思ってポケットの金を出しにかかると、彼は言った。
「旦那。こんなに素敵な物があるんです」
 彼は箱の抽斗《ひきだし》から小さな円い懐中鏡をとり出して、わたしの鼻のさきへ突きつけたので、なんの気もなしに見かえると、その鏡のなかには廃宅の窓も、かのまぼろしの女の姿も、ありありと映っているではないか。
 私はすぐにその鏡を買った。そうして、鏡のなかの彼女の姿を見れば見るほど、だんだんに不思議な感動に打たれてきた。じっと瞳《ひとみ》をこらして鏡のなかを見つめていると、さながら嗜眠病がわたしの視力を狂わせてしまったようにも思われてきた。まぼろしの女はとうとうその美しい眼をわたしの上にそそいだ。その柔らかい眼の光りがわたしの心臓にしみ
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