」と、わたしは叫んだ。
「そりゃ動きました。たしかに動きましたよ」
老紳士はわたしの肩を軽く叩いて、起《た》ちあがりながら丁寧にお辞儀をした。
「本物のように見せかける鏡には、気をつけたほうがようござんすよ」
こう言って、彼は行ってしまった。
あのおやじめ、おれを馬鹿な空想家扱いにしやあがったなと、こう気がついた時の私の心持ちは、おそらく諸君にもわかるであろう。わたしは腹立ちまぎれに我が家へ飛んで帰って、もう二度とあの廃宅のことは考えまいと心に誓った。しかし、かの鏡はそのままにして、いつもネクタイを結ぶときに使う鏡台の上に抛《ほう》り出しておいた。
ある日、わたしがその鏡台を使おうとして、なんの気もなしにかの鏡に眼を留めると、それが曇っているように見えたので、手に取って息を吹きかけて拭《ふ》こうとする時、私の心臓は一時に止まり、わたしの細胞という細胞が嬉しいような、怖ろしいような感激におののき出した。私がその鏡に息を吹きかけた時、むらさきの靄の中から、かのまぼろしの女がわたしに笑いかけているではないか。諸君は、わたしを懲《こ》り性《しょう》のない夢想家だと笑うかもしれないが、と
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