もう、普通の空気がいやになったのですから。――そうして、あなたのこのお花を下さいな。わたしはきっと大事に枝を折って、わたしの胸《ハート》の側にちゃんとつけて置きます」
こう言って、ラッパチーニの美しい娘は灌木の最も美しい花の一輪をとって、自分の胸につけようとした。しかしこの時、あるいは酒のためにジョヴァンニの意識が混乱していたのかもしれないが、もしそうでないとすれば、実に不思議なことが起こった。小さいオレンジ色の蜥蜴《とかげ》かカメレオンのような動物が小径を這って、偶然にベアトリーチェの足もとへ近寄って来たのである。
ジョヴァンニが見ている所は遠く離れていて、そんなに小さなものは到底《とうてい》見えなかったであろうと思われるが、しかし彼の眼には、花の切り口から、一、二滴の液体が蜥蜴の頭に落ちたと見えたのである。すると、その動物はたちまち荒あらしく体をゆがめて、日光のもとに動かなくなってしまった。ベアトリーチェはこの驚くべき現象をみて、悲しそうであったが格別におどろきもせず、しずかに十字を切った。それから彼女はためらいもせずに、その恐ろしい花を取って自分の胸につけると、花はまたたちま
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