もなく、ひざまずいて亡き人の冥福を熱心に祈り始めました。神が彼女の霊と私とのあいだに墳墓を置いて、この後《のち》わたしの祈祷のときに、死によって永遠に聖《きよ》められた彼女の名を自由に呼ぶことが出来るようにして下されたことについて、わたしはあつく感謝しました。
 しかし私のこの熱情はだんだんに弱くなって来て、いつの間にか空想に墜《お》ちていました。この室《へや》には、すこしも死人の室とは思われないところがあったのです。私はこれまでに死人の通夜にしばしば出向きまして、その時にはいつも気が滅入《めい》るような匂いに慣れていたものですが、この室では――実はわたしは女の媚《なま》めかしい香りというものを知らないのですが――なんとなくなま温かい、東洋ふうな、だらけたような香りが柔らかくただよっているのです。それにあの青白い灯の光りは、もちろん歓楽のために点《つ》けられていたのでしょうが、死骸のかたわらに置かれる通夜の黄いろい蝋燭の代りをなしているだけに、そこには黄昏《たそがれ》と思わせるような光りを投げているのです。
 クラリモンドが死んで、永遠にわたしから離れる間際《まぎわ》になって、わたしが再び彼女に逢うことが出来たという不思議な運命について、わたしは考えました。そうして、苦しく愛惜の溜め息をつきました。すると、誰かわたしの後《うしろ》の方で、同じように溜め息をついているのを感じたのです。驚いて振り返って見ましたが、誰もいません。自分の溜め息の声が、そう思わせるように反響したのでした。わたしは見まいとして、その時までは心を押さえていたのですが、とうとう死の床の上に眼を落としてしまいました。縁《ふち》に大きい花模様があって、金糸銀糸の総《ふさ》を垂れている真っ紅な緞子《どんす》の窓掛けをかかげて私は美しい死人をうかがうと、彼女は手を胸の上に組み合わせて、十分にからだを伸ばして寝ていました。
 彼女はきらきら光る白い麻布《あさぬの》でおおわれていましたが、それが壁掛けの濃い紫色とまことにいい対照をなして、その白麻は彼女の優美なからだの形をちっとも隠さずに見せている綺麗な地質の物でありました。彼女のからだのゆるやかな線は白鳥の首のようで、実に死といえどもその美を奪うことは出来ないのでした。彼女の寝ている姿は、巧みな彫刻家が女王の墓の上に置くために彫りあげた雪花石膏の像のようでも
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