あり、または静かに降る雪に隈なくおおわれながら睡っている少女のようでもありました。
わたしはもう祈祷《いのり》をささげに来た人としての謹慎の態度を持ちつづけていられなくなりました。床のあいだにある薔薇は半ばしぼんでいるのですが、その強烈な匂いはわたしの頭に沁み透って酔ったような心持ちになったので、何分《なにぶん》じっとしていられなくなって、室内をあちらこちらと歩きはじめました。そうして、行きかえりに寝台の前に立ちどまって、その屍衣《しい》を透して見える美しい死骸のことを考えているうちに、途方《とほう》もない空想が私の頭のなかに浮かんで来ました。
――彼女はほんとうに死んだのではないかもしれない。あるいは自分をこの城内に連れ出して、恋を打ち明ける目的のために、わざと死んだふりをしているのではないかとも思いました。またある時は、あの白い掩《おお》いの下で彼女が足を動かして、波打った長い敷布《シーツ》のひだを幽《かす》かに崩したようにさえ思われました。
わたしは自分自身に訊《き》いたのです。
「これはほんとうにクラリモンドであろうか。これが彼女だという証拠はどこにある。あの黒ん坊の召仕《ページ》は、あの時ほかの婦人の使いで通ったのではなかったか。実際、自分はひとりぎめで、こんな気違いじみた苦しみをしているのではあるまいか」
それでも、わたしの胸は烈しい動悸をもって答えるのです。
「いや、これはやっぱり彼女だ。彼女に相違ない」
わたしは再び寝台に近づいて、疑問の死骸に注意ぶかい眼をそそぎました。ああ、こうなったら正直に申さなければなりますまい。彼女の実によく整ったからだの形、それは死の影によって更に浄《きよ》められ、さらに神聖になっていたとはいえ、世に在りし時よりも更に肉感的になって、誰が見てもただ睡っているとしか思われないのでした。わたしはもう、葬式のためにここへ来たことを忘れてしまって、あたかも花婿が花嫁の室にはいって来て、花嫁は羞《はず》かしさのために顔をかくし、さらに自分全体を包み隠してくれる紗《ベール》をさがしているというような場面を想像しました。
わたしは悲歎に暮れていたとはいえ、なお一つの希望にかられて、悲しさと嬉しさとにふるえながら、彼女の上に身をかがめて、掩いのはしをそっとつかんで、彼女に眼を醒まさせないように息をつめてその掩いをはがしました。
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