世界怪談名作集
クラリモンド
ゴーチェ Theophile Gautier
岡本綺堂訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お訊《たず》ね

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)白|薔薇《ばら》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》
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       一

 わたしがかつて恋をしたことがあるかとお訊《たず》ねになるのですか。あります。わたしの話はよほど変わっていて、しかも怖ろしい話です。わたしは六十六歳になりますが、いまだにその記憶の灰をかき乱したくないのです。
 わたしはごく若い少年の頃から、僧侶の務めを自分の天職のように思っていましたので、すべて私の勉強はその方面のことに向けていました。二十四のころまでのわたしの生活は、長い初学者としての生活でした。神学の課程を卒《お》えますと、つづいて種《しゅ》じゅの雑務に従事しましたが、牧師長の人たちはわたしがまだ若いにもかかわらず、わたしを認めてくれまして、最後に聖職につくことを許してくれました。そうして、その僧職の授与式は復活祭の週間のうちに行なわれることに決まりました。
 わたしはその頃まで、世間に出たことがありませんでした。わたしの世界は、学校の壁と、神学校関係の社会だけに限られていました。それで、わたしは世間でいう女というものには、極めて漠然とした考えしか持っていませんでしたし、また、そんな問題において考えたりすることは決してありませんでしたので、全く無邪気のままに生活していたのでした。私は一年にたった二度、わたしの年老いた虚弱な母に逢いに行くばかりで、私とほかの世間との関《かか》り合いというものは、全くこれだけのことしかなかったのであります。
 わたしはこの生活になんの不足もありませんでした。わたしは自分が二度と替えられない終身の職に就いたことに対しては、なんの躊躇《ためらい》も感じていませんでした。私はただ心の喜びと、胸の躍《おど》りを感じていました。どんな婚約をした恋人でも、わたしほどの夢中の喜びをもって、ゆるやかな時刻の過ぎるのをかぞえたことはありますまい。わたしは寝る時には、聖餐式《せいさんしき》でわた
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