と、秋山は言った。
 奥野も笑いながら出て行った。
 その日の町奉行所に甚吉の吟味はなかった。秋山は他の事件の調べを終って、いつもの通りに帰って来ると、夜になって奥野が彼の四畳半に顔をみせた。彼はひとりの手先を連れて、柳島方面へ探索に行って来たのである。秋山は待ちかねたように訊いた。
「やあ、御苦労。どうだ、なにか面白い種が挙がったかな。」
「まず伊兵衛の家へ行って、おやじの助蔵を調べてみました。」と、奥野は答えた。「すると、どうです。助蔵の家《うち》へも幽霊のようなものが出て、――勿論その姿は見えないのですが、やはり伊兵衛の声で、下手人の甚吉は人違いだというような事を言ったそうです。」
「仕様のねえ奴だな。」と、秋山は舌打ちした。「どこまで人を馬鹿にしやがるのだ。それで、助蔵の家の奴らはどうした。」
「あいつらのことですから、勿論ほんとうに思っているようです。いや、助蔵の家ばかりでなく、往来でもその声を聞いた者があるそうです。あの辺の町家の女がひとり、百姓の女が一人、日が暮れてから町境いの川のふち――伊兵衛が殺されていた所です。――そこを通りかかると、暗い中から伊兵衛の声で……。女共
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