の畔には葉鶏頭《はげいとう》の真紅なのが眼に立った。もとの路を還らずに、人家のつづく方を北にゆくと、桜ヶ岡の麓を過ぎて、いつの間にか向う岸へまわったとみえて、図らずも頼家の墓の前に出た。きのう来て、今日もまた偶然に来た。おのずからなる因縁浅からぬように思われて、再び墓に香をささげた。
 頼家の墓所は単に塔の峯の麓とのみ記憶していたが、今また聞けば、ここを指月ヶ岡というそうである。頼家が討たれた後に、母の尼が来り弔《とむら》って、空ゆく月を打仰ぎつつ「月は変らぬものを、変り果てたるは我子の上よ」と月を指さして泣いたので、人々も同じ涙にくれ、爾来《じらい》ここを呼んで指月ヶ岡ということになったとか。蕭条《しょうじょう》たる寒村の秋のゆうべ、不幸なる我子の墓前に立って、一代の女将軍が月下に泣いた姿を想いやると、これもまた画くべく歌うべき悲劇であるように思われた。彼女がかくまでに涙を呑んで経営した覇業も、源氏より北条に移って、北条もまた亡びた。これにくらべると、秀頼と相抱いて城とともにほろびた淀君の方が、人の母としてはかえって幸であったかも知れない。
 帰り路に虎渓橋の上でカーキ色の軍服を着た
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