か見送りつつ揺られて行くのもあった。
修禅寺に詣でると、二十七日より高祖忌執行の立札があった。宝物一覧を断られたのもこれがためであると首肯《うなず》かれた。
転じて新井別邸の前、寄席のまえを過ぎて、見晴らし山というのに登った。半腹の茶店に休むと、今来た町の家々は眼の下に連なって、修禅寺のいらかはさすがに一角をぬいて聳《そび》えていた。この茶店には運動場があって、二十歳ばかりの束髪の娘がブランコに乗っていた。勿論土地の人ではないらしい。山の頂上は俗に見晴らし富士と呼んで、富士を望むによろしいと聞いたので、細い山路をたどってゆくと、裳にまつわる萩や芒がおどろに乱れて、露の多いのに堪えられなかった。登るにしたがって勾配が漸く険しく、駒下駄ではとかくに滑ろうとするのを、剛情にふみ堪えて、先《ま》ずは頂上と思われるあたりまで登りつくと、なるほど富士は西の空にはっきりと見えた。秋天片雲無きの日にここへ来たのは没怪《もっけ》の幸《さいわい》であった。帰りは下り阪を面白半分に駈け降りると、あぶなく滑って転びそうになること両三度。降りてしまったら汗が流れた。
山を降りると田甫路《たんぼみち》で、田
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