で、ある店に立ってゆで栗を買うと実に廉《やす》い。わたしばかりでなく、東京の客はみな驚くだろうと思われた。宿に帰って読書、障子の紙が二ヵ所ばかり裂けている。眼に立つほどの破れではないが、それにささやく風の音がややもすれば耳について、秋は寂しいものだとしみじみ思わせるうちに、宿の男が来て貼りかえてくれた。向座敷は障子をあけ放して、その縁側に若い女客が長い洗い髪を日に乾かしているのが、榎《えのき》の大樹を隔ててみえた。
 午後は読書に倦《う》んで肱枕《ひじまくら》を極《き》めているところへ宿の主人が来た。主人は善《よ》く語るので、おかげで退屈を忘れた。きょうも水の音に暮れてしまったので、電灯の下で夕飯をすませて、散歩がてら理髪店へゆく。大仁《おおひと》理髪組合の掲示をみると、理髪料十二銭、またその傍に附記して「ただし角刈とハイカラは二銭増しの事」とある。いわゆるハイカラなるものは、どこへ廻っても余計に金の要《い》ることと察せられた。店さきに張子の大きい達摩《だるま》を置いて、その片眼を白くしてあるのは、なにか願掛けでもしたのかと訊いたが、主人も職人も笑って答えなかった。楽隊の声が遠くきこえ
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