藪がある。槿《むくげ》の花の咲いている竹籬《たけまがき》に沿うて左に曲ると、正面に釈迦堂がある。頼家の仏果円満を願うがために母政子の尼が建立したものであるという。鎌倉の覇業を永久に維持する大《おおい》なる目的の前には、あるに甲斐《かい》なき我子を捨殺しにしたものの、さすがに子は可愛いものであったろうと推量《おしはか》ると、ふだんは虫の好かない傲慢の尼将軍その人に対しても一種同情の感をとどめ得なかった。
 更に左に折れて小高い丘にのぼると、高さ五尺にあまる楕円形の大石に征夷大将軍|左金吾《さきんご》頼家尊霊と刻み、煤《すす》びた堂の軒には笹竜胆《ささりんどう》の紋を打った古い幕が張ってある。堂の広さはわずかに二坪ぐらいで、修善寺の方を見おろして立っている。あたりには杉や楓《かえで》など枝をかわして生い茂って、どこかで鴉《からす》が啼いている。すさまじいありさまだとは思ったが、これに較べると、範頼の墓は更に甚だしく荒れまさっている。叔父御よりも甥の殿の方がまだしもの果報があると思いながら、香を手向《たむ》けて去ろうとすると、入違《いれちが》いに来て磬《けい》を打つ参詣者があった。
 帰り路
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