こから5字下げ]
(頼家は行きかゝりて物につまづく。桂は走り寄りてその手を取る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
頼家 おゝ、いつの間にか暗うなつた。
[#ここから5字下げ]
(僧はすゝみ出でて、桂に燈籠を渡す。桂は假面の箱を僧にわたし、我は片手に燈籠を持ち、片手に頼家をひきて出づ。夜叉王はぢつと思案の體なり。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
かへで 父さま、お見送りを……。
[#ここから5字下げ]
(夜叉王は初めて心づきたる如く、娘と共に門口に送り出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
五郎 そちへの御褒美は、あらためて沙汰するぞ。
[#ここから5字下げ]
(頼家等は相前後して出でゆく。夜叉王は起ち上りて、しばらく默然としてゐたりしが、やがてつか/\と縁にあがり、細工場より槌を持ち來りて、壁にかけたる種々の假面を取下《とりおろ》し、あはや打碎かんとす。楓はおどろきて取縋る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
かへで あゝ、これ、なんとなさる。おまへは物に狂はれたか。
夜叉王 せつぱ詰りて是非におよばず、拙《つたな》き細工を獻上したは、悔んでも返らぬわが不運。あのやうな面が將軍家のおん手に渡りて、これぞ伊豆の住人夜叉王が作と寶物帳にも記されて、百千年の後までも笑ひをのこさば、一生の名折れ、末代の恥辱、所詮夜叉王の名は廢《すた》つた。職人もけふ限り、再び槌は持つまいぞ。
かへで さりとは短氣でござりませう。いかなる名人上手でも細工の出來不出來は時の運。一生のうちに一度でも天晴《あつぱ》れ名作が出來ようならば、それが即ち名人ではござりませぬか。
夜叉王 むゝ。
かへで 拙い細工を世に出したをそれほど無念と思召さば、これからいよ/\精出して、世をも人をもおどろかすほどの立派な面を作り出し、恥を雪《すゝ》いでくださりませ。
[#ここから5字下げ]
(かへでは縋りて泣く。夜叉王は答へず、思案の眼を瞑《と》ぢてゐる。日暮れて笛の聲遠くきこゆ。)
[#ここで字下げ終わり]
(二)
[#ここから3字下げ]
おなじく桂川のほとり、虎溪橋《こけいけう》の袂。川邊には柳幾|本《もと》たちて、芒《すゝき》と蘆とみだれ生ひたり。橋を隔てゝ修禪寺の山門みゆ。同じ日の宵。
[#ここから5字下げ]
(下田五郎は頼家の太刀を持ち、僧は假面の箱をかゝへて出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
五郎 上樣は桂どのと、川邊づたひにそゞろ歩き遊ばされ、お供の我々は一足先へまゐれとの御意であつたが、修禪寺の御座所ももはや眼のまへぢや。この橋の袂にたゝずみて、お歸りを暫時相待たうか。
僧 いや、いや、それは宜しうござるまい。桂殿といふ嫋女《たをやめ》をお見出しあつて、浮れあるきに餘念もおはさぬところへ、我々のごとき邪魔外道が附き纒《まと》うては、却つて御機嫌を損ずるでござらうぞ。
五郎 なにさまなう。
[#ここから5字下げ]
(とは云ひながら、五郎は猶不安の體《てい》にてたゝずむ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
僧 殊に愚僧はお風呂の役、早う戻つて支度をせねばなるまい。
五郎 お風呂とて自づと沸いて出づる湯ぢや。支度を急ぐこともあるまいに……。先づお待ちやれ。
僧 はて、お身にも似合はぬ不粹をいふぞ。若き男女《をとこをうな》がむつまじう語らうてゐるところに、法師や武士は禁物ぢやよ。はゝゝゝゝ。さあ、ござれ、ござれ。
[#ここから5字下げ]
(無理に袖をひく。五郎は心ならずも曳かるゝまゝに、打連れて橋を渡りゆく。月出づ。桂は燈籠を持ち、頼家の手をひきて出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
頼家 おゝ、月が出た。河原づたひに夜ゆけば、芒にまじる蘆の根に、水の聲、蟲の聲、山家《やまが》の秋はまた一としほの風情ぢやなう。
かつら 馴れては左程にもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事變りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂しうござりませう。
[#ここから5字下げ]
(頼家はありあふ石に腰打ちかけ、桂は燈籠を持ちたるまゝ、橋の欄に凭《よ》りて立つ。月明かにして蟲の聲きこゆ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
頼家 鎌倉は天下の覇府、大小名の武家小路、甍《いらか》をならべて綺羅を競へど、それはうはべの榮えにて、うらはおそろしき罪の巷、惡魔の巣ぞ。人間の住むべきところで無い。鎌倉などへは夢も通はぬ。(月を仰ぎて云ふ)
かつら 鎌倉山に時めいて
前へ
次へ
全9ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング